大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(わ)3610号 判決

主文

1  被告人を禁錮一〇月に処する。

2  この裁判確定の日から四年間、右刑の執行を猶予する。

3  訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(認定事実)

被告人は、反覆継続して自動車を運転しているものであるが、昭和四三年九月二八日午前八時ころ、大型乗用自動車(東京都営バス)を運転し、通勤途上の歩行者等で混雑する東京都葛飾区金町六丁目四番一号先国鉄金町駅前広場で、方向転換のため車掌の誘導に従つて後限中、誘導する車掌の動静、ことに同人の吹く笛の合図に注意を払い、車掌が運転席からの死角部分の安全を確認していることを充分確かめつつ後退すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、車掌の後退可の合図があつてから暫時つぎの合図がなく、したがつて車掌が右安全確認を充分に行なつているか否かがわからない状態であるのに、急激に自車を後退させた過失により、被告人がもう同車を後退させないものと思い込んで持場を離れようとした右車掌の背後を通つて自車後方を左方から右方へ通行して来た宮内正雄(当時三三年)に自車後部を衝突させたうえ、同人を自車とその直近後方に停車していた大型乗用自動車(京成バス)の右側面部との間で強圧し、よつて、同人に対し入院加療七カ月を要し、左下腿切断、左膝関節強直の後遺症を伴う左下腿骨複雑骨折の傷害を負わせたものである。

(証拠)〈省略〉

(法令の適用)〈省略〉

(事実の認定および量刑について)

弁護人は、被告人に本件過失責任はないと主張しているが、前掲1、2の各証拠を総合すれば、被告人が前示の後退をしようとしたとき、およびその直前に後退可の合図の笛が吹かれていなかつたことは明らかであり、車掌が誘導に当つていたとはいえ、バスの運行全般につき責任を負つている運転手としての被告人は、その手足ともいうべき誘導中の車掌の動静に細心の注意を払い、合図がと切れる等、車掌が運転席からの死角部分の安全の確認を尽していないおそれがある場合には、まず車掌との連係を回復し、車掌が右安全の確認を行なつていることを充分認識したうえで後退に移るべきであつたことはいうまでもないところであつて、被告人に本件過失責任が存することは明らかである。通行人で混雑している広場で、右の注意義務を尽さず後退した被告人の行為はきわめて危険なものであり、さらに、本件結果を重大ならしめたについては、被告人の不用意なクラッチ操作も与つているのであつて、被告人の責任は決して軽いとはいえない。

しかし、自分勝手な判断で持場を離れようとし、しかも、自分のすぐ傍らを通り過ぎた被害者にまつたく気付なかかつた車掌の行動も、同女が生理中であつたためか通常では考えられないほどの軽率きわまりないものであり、この点、被告人に同情の余地がないとはいえない。そして、被告人の勤務する東京都交通局が被害者に対し、総額約一、〇〇八万円を支払つて同人との間で示談が成立しており、同人は被告人を宥恕し、寛大な処分を望む旨の意思を表示している。そこで、被告人には九年余り前の業務上過失致死罪により罰金刑に処せられた前科があるほかには、問題となるような交通事件に関する前科も前歴もなく、本件について反省の色が顕著であること、被害者に後遺症が生じたことには医師の不適切な処置があつたのではないかと疑われる事情も存すること、すでに事件発生後、三年近くを経過していることなど諸般の情状を考え合わせ、主文の量刑をした。

(海老原震一 小野寺規夫 永山忠彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例